2014.08.13


独り言の続きを
こんな時間もそうそうあるものではないから
思ったままに書いてみよう。

いままで年間60着しか作れなかった自分が
数ヶ月前 ふとしたことがきっかけで 抜けることが出来
結果として3ヶ月で60着作ることが出来た。

抜けた!という感覚は
もちろん嬉しいことではあるのだけれど
それは単に生産量に関してだけではない。

手縫いをこれほどまでに施し
どこまでも柔らかく、立体的に仕立てたいと願い
作り上げたものをトップラインと呼ぶならば

その対極にあるであろう
全てをミシンメイドで作る
既製服のようなものも作ってみたい。

何も考えず
ただただその日の昼食や夕食のこと
はたまた仕事帰りに寄るいつものカフェバーで
夕食前につまむシャルキュットリーのことを考えたり
恋人と一緒に今度の週末どこに出かけようか
子供を連れてあの海に行きたいなあとか

そんな日常のことを考えながら
工業用ミシンをフルスロットルで踏む
そうして作り上げた作品には
ある種独特の美しさが宿るのを僕は知っている。

決して手縫いが良いわけじゃない。
手で縫ったから何なんだ
手縫いで作ったものが最上なわけないじゃないか。
そんな疑問すらもたないで何がタイユールなのか。

チクチクひたすら縫うことで
マイナス面はたくさんある。
作り手の感情がひたすら入ってしまい
出来上がった時に服が重たくなってしまう。

それが作り手の想いだから
そういうものはどんどん入れて欲しいと
言ってくれる人も居るかもしれない

でも僕は全然そうは思わない。

作り手の想い全てが美しいわけではなく
また全てにおいて強いプロフェッショナリズムが入っているわけでもない

時としてやたら家庭的な匂いがあったり
甘ったるい服が出来上がる。
そうしたものは自分が一番苦手とするもの。

だから自分達が作る手縫いの服は、どこまでも突き放す。
作り手の感情を必要以上にはいれないように心がけている。

一歩引いたところからものを表現すること。
だからこそうまれる美しさ。

僕がここで書いていることを、人は信じるだろうか。
そんな。作り手の感情が服に表れるなんて と笑うかもしれない。

でも
皆がビックリするくらい
作り手の想いというのは作品に現れてしまう。

だからこそ作家さんと呼ばれる人たちの
存在価値があり、仮に価格が全く違うものでも
この人の作品じゃなきゃダメなの というファンが必ずいる。

いま自分がやりたいことは
手縫いをふんだんに施した上で表現できる最高にストイックなもの
色々な制約を無視し、どこまでも自由にただひたすら作りたいものを作る。そこには匂い立つ色気がプンプンしている。もちろんクラッシックな範疇で。

同時に
あえてミシンメイドのみで
手縫いはほとんどいれないで仕立てたからこそ
出てくる美しさ。

その二つを形にしたい。
時間がないからを理由にしないで
まずやりたいと願うことで その先はなんとでもなるもの。
まずは思いを巡らし そして手を動かすだけ。

(写真は先日のトークライブから)

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