2013.4.22 独り言


独り言です。

美しいものを作りたい。
20代の頃、とにかく美しいものを作りたい。と強く思っていた。技術力もないのに、実現する力もないのに、ただただそう願って。いざ生地をカットし、パターンをひき、縫い合わせてみると自分が願っている頭の中のイメージはおそらく50%位しか具現化できていなかった気がする。
満足出来ることなんてほとんど無かったけど、それでもコレクションの仕事をこなし、日々サンプル縫製とパターン作りに明け暮れてた。それでも日常的にポジフィルムで撮っていた写真だけは自分が納得できるものだった。

だれかのポートレートとか、写真同好会とかそういったものではなく、ただただ一人でボロボロのニコンのレンズで撮ったもの。

自分の作品を本気で作ろうと思ったとき、自分の核って何か?と考えた。核というのは、自分だけがもっているもので、誰かが持っているものではない。そして自分の周りにフワフワ浮いているものでもない。いざそれを本気で考えた時、浮かんでくるもの達は、実は本当の核なんかじゃなかった。
掴めそうでなかなか掴めないもの。
どれもこれも核の周りをグルグルと回ってるモノばかり・・。

自分が身につけているものや、すきなブランド(ほとんど無かったけど)やスタイルばかりが浮かぶけど、それらは自分が裸になった時なにも意味をなさない。

その3ヶ月後核は見つかる。24歳の頃。

フランスに住んで10年。
自分の求めるものは美しいものを作ること。
決して妥協しないで、お客様が喜んでくれるものを作りたい。

好きなピアニストの曲を聴く。
それらは多くクラッシックやジャズだけれど、たまにロックも聞いたりする。国籍、肌の色、考え方、曲の内容、全てがちがうのに共通していることはただ一つ。
美しい曲というのは、国籍、言語を越えて人を感動させ、それは時に鳥肌が立つくらい、ダイレクトに響いてくる。

自分達の服をお客様に御納めして、喜んでくれるお客様の顔が好きだ。エレベーターホールまで御送りして、別れ際の握手で、その方の喜びが伝わる。作り手の私はただ頭をさげて御見送りする。

作りながら私が願うことはただ一つ。
その方が私達の服を着たとき、世界中どこに行っても恥ずかしくない服であること。どんな国でも『エレガントだ』と思われること。ただそれだけ。他には何も求めない。

そこには、『どうだ、俺の作った服は綺麗だろう』といった奢りや、『このハンドステッチが』といった部分的なディティールや、『俺が俺が』といったような自意識過剰的なことは全くない。それらは私にとっては全くもって『どうでもいいこと』である。

ひとたび服が完成したら『鈴木健次郎』という人は全く表に出なくていいと思っている。自分のブランドネームさえ不必要であれば付けなくてもいいと思う(現にフランス人のお客様でDISCRETを好む方には付けてない)何故なら、自分が目立つことよりも着るお客様がエレガントであることが第一だから。

作り手とお客様は同一線上には立たない、ということをフランス人のお客様と接していて学んだ。作り手は黒子でいるべき。
だからこそ、そこに双方からのリスペクトがある。

そのお客様が海外で仕事をしているとき、『良いスーツだね』と言われることも嬉しいけれど、それよりも『彼は素敵な人だ』と思われることを願う。良い服は着ているだけでその人を喜ばせ、明るくさせ、口笛を吹きたくなる。
その人の第二の皮膚のようになり、服と本人が一体化すること。

エレガントとは服だけが独立して生まれることではない。

人が喜んでくれる仕事に就けて本当に嬉しい。なりたい自分になれて、作りたかったものが自分の両手から生み出せて、フィニッシュの細かい部分まで命を吹き込むことが出来て、本当に嬉しい。服作りはきっと自分の天職。そう願いたい。

 

 

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