2012,03,22


ものづくりが楽しいと思います。
でも22、3歳の頃、初めてものづくりに真摯に取り組んだ時最初に思ったのは『なんて苦しいんだろう』ということでした。
それまではデザイン画をささっと描いてデザインをする・・・なんて何処かのテレビで見たようなことを想像して、そして自分も真似していましたが、実際真剣にものを作ろうとするとその難しさに自分自身戸惑ったのをよく覚えています。
手先だけでデザインするわけではなく、自分の中心にある、もしくは身体中に散らばっている細胞皆に声をかけて、自分の世界観、自分のもっているものを総動員して、ほんの少し表現ができる。そう思って活動していました。

生地の目を一日中見ていたらわかるようになるよ。なんてベテランテーラーに言われ、一人マヌカンにかかったサンプルの生地を朝まで眺めて、結局わかったようなわからなかったような・・・。
その時は何をするにも一生懸命で。全速力で動こうと思っていましたが結局なかなか前進できずもがいている自分がいたのを思い出します。
作ることに没頭しましたが、技術的な力不足により、なかなかフィニッシュすることができず。ただその反面毎日アトリエから自宅に帰る時の空の色や、空気。そうしたものから自身の世界観を少しづつ見つけて広げて行ったのをよく覚えています。
結局僕ら作り手は、ものを作れるし作って行くのでしょう。ただ、作る側の僕らが心の中心にある世界観というものが薄っぺらかったり、すぐに向こう側が透けてしまうようなほど奥行きがなかったりしていたのでは、きっと人に何かを感じて貰うことはできないのかな。と思います。
世界観。の凝縮やそれを深めて行くことって何処かのmuseeにいったりすることが大切なのではないようにも感じます。
もっとシンプルに。自身の心の中心にあるものではないかな、なんて思います。その純粋性が深かったり、もしくは僕らのように縫っているなかでそうしたことがドンドンでてくるということが大事なんじゃないかなと思います。

京都は色が濃いように見えます。街中も、空の色も。漂っている空気も、何だか色が濃いような気がします。
知識を深めることで多くのことを身につけることはできるのでしょうが、同時に外を見ようとすることで新たな自分自身を発見することでしょう。
知識よりも、自分がどう感じるか。進んでいくか。チョイスしていくか。なのでしょうね、大切なのは。


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