2012,02,22


久しぶりに独り言を言って見ました。

最近は時間がいくらあっても足りないな。昼も夜も休みなしでまるで一日を二倍生きているよう。でも独立前の今はおそらく一生で今しかないはずだ。(j’esperes!) だから何だかんだ言っても楽しんでやっています…!どちらかというと充足感で満たされている感じかな。良いことです。

そう、物事はすべて考え方によって決まるのだ。複雑なものを複雑だと思いながら作ればより難しく感じるし、ああ!何てシンプルなの。と思いながら作れば気がついたら出来てる。ものづくりは楽しいもの。
仕立ても同じ。ジャケットの縫製を勉強中の頃は先が見えなくて、こんなに学ぶことがある。って思ったっけ。その後カッティングで行き詰まったときは、縫製は意外と簡単でカットは難しいと思ったものだ。いまは会社を経営して行くて当たって時間のオーガナイズが簡単じゃないと思う。

ただ冷静に見ても仕立てをカッティング、仮縫い、そして縫製まで一人でこなせるようになるのは、やはり簡単では無いんだろう。難しいのではなくpassion 情熱がないと行き着かない。今はそう思えるようになりました。
そう考えていくと、もう一番難しい技術面のベースはしっかりと出来たのだから、それだけでもヨシとしないと。ただしテクニックはこれから更によくして行くものだろう。職人にとって、誰かについて学ぶという時期は人生のなかでほんの少しで、問題はその後に自分自身でそれを探求して行くことである。初めは難しいと頭を抱えていたことが、身体に染み込んでいき、一本の線をパターン上でひくときも、もう何も考えなくてもいい位入って行く。そんな時は全ての道具がピタッと身体にくっついてくるように感じ、自分がこれ以上ない充足感に包まれてたけど、それもほんの束の間にあることに気づくものだ。実はもっと難しいことはその次だったりする。そういう意味では仕立てをカッティング、仮縫い、そして縫製まで一人でこなせるようになるのは、やはり簡単では無いんだろう。難しいのではなくpassion 情熱がないと行き着かないんだよね。今はそう思えるようになりました。

情熱があれば結局のところできないことなんてない気がします。
日本にいるとそこでしか見えないことがある気がする。いい仕事だ、上手い、下手だってそんなの井の中の蛙。
世界中には僕らよりもずっと器用で長けている職人がいるのだ。器用だから出来る。のではなく、彼らは天性のもののようにできてしまったりする。ミシンに座ったらずっと動かないで、数十分後には完成されてしまう職人がいる。国内で自分を評価するなんて甘い気がする。

,

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です