201112.15


理想の自分と理想の服。

それは物作りをする人にとっては理解出来ることかもしれない。私達の仕事は、技術あってのもの。服を作る人、料理を作る人、グラフィックデザイナー、靴職人、音楽家、作家、、。私達はその技術なしには物事を表現出来ない。けれども僕は時として、そんな技術はいらない。手から、頭からいっそ、一気に忘れてしまいたくなる。
何かを作り上げるとき、多くの人は自身の経験でそのものが綺麗か綺麗じゃないか、良いか悪いかを判断する。私はそんなとき、自身のちっぽけな経験などどうでもいいことのように感じる。出来ることなら頭の中からスッポリと取り出し脇に置いてしまいたい。
それが本当に良いか悪いかを判断出来るのは、自身の経験よりも、私は自身の目を大切にしたい。自分の感情もそこに置き去りにして・・一歩下がった所からそのものを客観的に見ることができたらどんなに良いだろうか。

美しいものを作りたい。
その気持ちは20代前半に出会ったある人の影響が大きい。
物をつくることは簡単、でも本当に綺麗なものを作るのは難しい。
世の中にこれほどまでにモノが溢れている中で、あなたは何故作りたいのか。

心の中の目を、奥行きのある価値観を豊かにして行きたい。自分が作るものが服でありながら服でないように・・・。それが何であるかはきっとそれほど重要ではないだろう。

ものを作り上げるには当然のごとく技術が必要。
ただ、私は爪の先まで、指の先端までしみ込んでくれれば、そのことを何も考えずに、いっそのことそれがどうでも良いことのように忘れてしまえると思う。
そして、ただそこにある”もの”を追求できるのだと思う。

自身が美しいと最高に満足出来るもの。
ただそれは、私が決めることでもない。
仮に仕上げアイロンを一時間半したところで・・お客様に納品した後は、きっと1cmくらいの薄っぺらい木のハンガーにかけられ、ぎゅうぎゅうになってクローゼットにしまわれるに違いない。
でもお客様がさっとそれを羽織るとき、それがまるで一気に息を吹き返したかのように生き生きと見える。
自身の作品とは、”自分、自分”とかこわずにそれくらいの距離を保つのが私にとっての理想かもしれない。

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