アトリエから見たパリ第9回 SAVOIR-FAIREの継承


皆さんこんばんは。コラム第9回目は、私にとって大きな転機になるであろう『SAVOIR-FAIREの継承』について書いてみようと思います。

私はメゾンスマルトに勤務し、既に早4年が経ちました。アトリエ内はその間色々なことが起きました。引退した職人もいれば、他のメゾンに引き抜かれていったベテラン職人もいました。HABIT(エンピ服)やSMOKING、PARDESSUS LONG(ロングコート)を仕立てさせたら彼の右に出るものはいないというほど腕が良かった、イタリア人職人ロコも他メゾンにチーフとして引き抜かれ、マダムスマルトの全ての仕立てを担当していたポルトガル人の女性職人グラースも引退し、アピエスール、カッターとすべての部門で働いたフランス人職人ディディエも、そしてムッシュウスマルトの右腕として45年間このメゾンのカットを支え続けた私の師匠も2年前に引退しました。

この2011年9月は私にとって特別な月になりました。私はこの月35歳の誕生日を迎え、一つの決断を形にしました。約4年前より強く願っていた『パリでタイユールとして独立する』という目標に近づく大きな一歩を進むため、スマルトに退職願を出したのです。自身の35歳の日に、独立に向けて辞表を提出するというのは、お世話になったメゾンスマルトに感謝をすると同時に、非常に清々しい気持ちになれました。
ただ実際辞表を提出してみますと、私のPREAVIS(辞表提出後退職するまでの日数)はなんとたった一週間!(私は一ヶ月だと思っていました)で、これには人事部長、生産管理をしているアトリエ責任者も驚きました。なぜならたった一週間で私の代わりの人間を探し、そしてスマルトのカッティングを教え込むなど不可能だからです。『なんとかもう少し居てほしい』というのがメゾンの純粋な気持ちでした。私もこのまま一週間後に完全退職すれば、自分が学んだスマルトのカッティングがここで誰にも継承されないまま失われてしまうことが良くわかりましたので、人事からの条件をのみ、結局6ヶ月間アトリエに残り、後任の育成をしっかりと行い、2012年3月に正式退社する運びになりました。後任は今のところ私とともに裁断室でカッターをしていた人間が引き継ぐことになりました。彼は今まで裁断をメインに行っていたのですが、これから一番難しい型紙作りに深く関わっていくことになります。

今回時間が6ヶ月しかないということもあり、手取り足取り、私が自身で体験し発見した全ての事を含め、彼に教え込んでいます。こうしたケースというのはかなり稀で、本来チーフカッターが退職するとしてもその引き継ぎはさっぱりしたものです。基本的な事だけを教え、あとは自分で失敗しながら学べ。というのが手作りの世界の基本でもあります。事実私自身、チーフから学んだ半年から1年の間のテクニックは全て”嘘”のものでしたし、チーフ自身口が不自由な方でしたので、コミュニケーションは全て手話でした。もちろん教えて貰った事も多々ありますが、多くは自分自身で探求し、失敗しながら得てきたものがほとんどです。 ではなぜ自分は今回『自身で体験した全ての事を含め教え込む』のか?
その理由は、もうパリ中探しても、これはおごりではなく、もう型紙・仮縫い・仕立て全てを熟知している私のようなカッターはいないからです。各メゾンで活躍する、現在60代のカッター達が引退した後の世代に、彼らのSAVOIR-FAIRE (手仕事に於けるテクニック)は継承されていません。つまり彼らが引退したあと、このフレンチテーラーリングの大半は残念ながら消えていってしまうでしょう。

継承されない理由は色々です。
まず第一に、カッターになるにはスーツの仕立て(縫製)全般を全てできる事が第一条件になることです。ことにジャケット作りは全ての工程が出来なければ、パターンをひく事など無理ではないでしょうか。どの部分にアイロンによるクセとり(曲げ、縮み、伸ばし)をいれ、どう縫う事で生地がどう反応するかを熟知している必要があるからです。
第二に、オーダーにおけるカッティングの体型補正技術というのは非常に難しいもので、これをキチンと論理的にしっかりと教えられるカッティング教師というのは、残念ながらパリのどの学校をさがしても見つからないということです。学校では基礎的な事しか教えませんし、既製品に於ける左右対称、着丈の前後のバランスも全て統一されたカッティングでは、世界中のお客様達の難しい体型に対応する事などできないからです。既製品においてはだれかの身体の『採寸』をとることもまず無く、常にメーカーで決められた『サイズ表』をもとに仕事をするので、 オーダー服作りの命である『採寸』でさえもしっかりと教える事はできないと思います。

こうした理由から、すでに『オーダー服の縫製及び型紙作りの基礎』ができる人材がもうほとんど見つからない中で、仮に私が後任にメゾンスマルトの基本的な事しか教えないで退職したら今教え込んでいる後任はほとんど何もできず茫然自失するに違いないと、これは教え込み始めた最初の一週間目で実感しました。仮に手取り足取り教え込むのが例外としても、私にとってはこのスマルトのカッティングがしっかりと継承されるというのが大切なことなのです。

6ヶ月間、私は自身のSAVOIR-FAIREをできる限り彼に教え込み、自身の目標である『パリでの独立』のため退職します。その間彼がどれくらい学び、伸び、できるようになるかは誰にも判りません。未来は私にとっても、彼にとっても平等であり、全ての人に可能性があるのです。 私もここからが人生の大きなスタートです。皆さんこれからもどうぞよろしくお願い致します。


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