アトリエから見たパリ第5回 Vite est Bien!=前編=


パリのテーラーで職人として働くと必ず見られることが二つあります。一つ目は“技術”。そして二つ目は“速さ”。この職人はまともに縫えるのか?そしてどのくらいのスピードで一着を仕立てられるのか?ということです。
私がメゾンカンプスでApieceurとして修行していた頃、オーナーカッターのマルクは常に言いました。「Kenjiro、服を仕立てる時は常に速さを意識しなくてはいけない。同じ仕事をするのに、何故まわりの職人が君より速くできるか真剣に考えていかなくてはいけない」と。

今回と次回はタイユールにとって大切な、“Vite est Bien”について書こうと思います。

メソンカンプスで私は最初ローマ生まれのフェルナンという職人に付き、彼のアシスタントという形で働き始めました。パリに来て初めての師匠がフェルナンなのですが、彼は他のイタリア人同様8歳頃からタイユールとして働き始めましたので、この道50年以上のベテラン職人でした。パリの数々のグランドメゾンで職人として働いたのち一度ローマに戻ってカラチェニで11年間働き、再度パリに戻りメゾンカンプスに腰を落ち着かせていました。

フェルナンとの仕事は最初からハードなものでした。

前回のコラムで少し触れましたが、基本的にapieceur はそのアシスタントであるfinissieurとチームを組んで仕事をします。finisseurの仕事は多岐に渡りpoint croche(切躾)から始まりpoche interieur(内ポケット)、toile (毛芯作り)・・・と様々です。finisseur はその都度apieceurの仕事がはかどるように、常に先回りしていかなくてはチームとしてリズムが乱れます。仕事が滞ってはいけません。
apieceurが芯据え、見返し付けの工程に入ったときは、彼が左前身頃を作っている間、私が右前身頃の仕上げ部分をこなし、出来上がったと同時に左前身を仕上げ、次の工程準備もこなす、といったまるでリレーのようにバトンを渡し、渡されながら一着のジャケットを仕立てていくというものです。

当初私はフェルナンのアシスタントとして働き始めましたが、私はとにかく自分の手で丸縫いできるようになりたかった。スーツの仕立て方は日本で学んでいましたので何とか形にできましたが、知れば知る程仕立ての方法が日本のそれとは全く異なり“目から鱗”とはこのことか!と驚きと喜びの毎日で、なんとかパリのやり方で一人前になりたいと強く願うようになりました。
Apieceur の仕事で主要な部分を挙げるとポケット作り、芯据え,見返し付け、脇入れ、肩入れ、そして衿付けとなるので、一人前になるためにまず、その第一ステップであるポケット作りを習得しようと考えました。しかし普通に毎日仕事をこなしていては、リレーのバトンが止まることはありませんから、いつまでたっても出来るようにはなりません。

そこで、昼ご飯を急いで済ませた後の少しの時間を、また仕事が終わり自宅に帰った後の時間を、全てポケット作りに充てました。フェルナンから小さな生地の端切れをもらって、その上に実際のポケットと全く同じものを作っては翌日彼に見てもらいました。その時々で彼は『ここはもっとこうした方がいいぞ』とアドバイスをくれ、また作っては見せて。の繰り返しの日々でした。この時の私はとにかく『早く形にしたい・・・!』という情熱でいっぱいでした。当時労働許可証がとれてはいたものの、9ヶ月毎の更新、そしてそれも毎回『今回も無事通るかな・・。』とドキドキハラハラしていましたので、いつ何か問題が起きて日本に帰国することになるかも知れない。という危機感が常にありました。

パリのタイユールの世界はとても閉鎖的なもの。日本人の職人は当時パリ中を探しても私一人。だれかに愚痴を言えるものでもなく、たまに辛くなると『もう日本に帰りたいな・・』と思うことも多々ありましたがその度に『帰っても何もないんだ。自分はここで頑張るしか無いんだ』と奮い立たせていました。そして『一人前にならないことには日本に戻れない』という気持ちが、自分の技術をどこまでも伸ばしたのだと思います。 この『後がない』という気持ちがあったからこそ、自分は今までやれて来たのだと思います。外国生活というものは、体験した方はわかると思いますが、それほど楽しい事ばかりではありません。むしろ辛いことや嫌な事の方が多かったりもします。そして生活の時々で常に『決断』が求められます。自分を雇って欲しいとパリ中のテーラーをまわったときも。カッターとして働きたいと直接フランス人オーナーに交渉したときも、店に入る前は多少なりとも臆するものです。ただそんな時『後悔だけはしたくない。断られて当たり前』という思いが私を動かし続けました。

話しをメゾンカンプスに戻します。
そうして形になったポケットを手に、オーナーのマルクに『これだけ出来るようになりました、実際の仕事でポケットを作らせて下さい』と頼みました。
私の『丸縫いする一人前の職人になりたい』という強い思いはマルクに通じ、『ポケットは作っても良い。ただし、フェルナンとの仕事はそのままで、その傍らでこの仕事も同時進行して進めなさい。もしあまり進まないようならば納期に遅れるわけにもいかないし、その時はフェルナンか他の職人に渡すから』との条件付きで。
それはつまり、今迄通りフェルナンとの仕事はこなしつつ、担当したお客様の仕事は一人でこなし、且つフェルナンが一着終わる頃にはその仕事も終わらせなさい。Apieceurとfinnisseurの仕事を一人でこなせ。ということでした。

それからの日々は以前とは全く異なるものでした。
全ての工程を自分でオーガナイズして、とにかくフェルナンより速く準備しなくてはいけない。毛芯をつくり内ポケットを作り・・と一つの工程で2、3分短縮する事で、その時間を自分が担当したお客様の仕立てにあてる・・という今思い出してもハードな日々でした。
急いだことが原因で仕事の質が落ちたとあれば、マルクから厳しい叱咤がありましたし、何か考えている時間があれば、担当している仕事をこなさないと、結果終わらなくて他の職人に自分の仕事を取り上げられる。というものでした。
『早く上達したいのなら、こなせるようになれ』と自分自身を励まし、とにかく『どうしたらスピードを身につけられるか』と試行錯誤の日々でした。


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