アトリエから見たパリ第3回 Apprentissage(修業時代)『カットは一番最後。今は見る必要なし。』


日本で約8年程経験を積んだのち渡仏。その後、ある人の紹介でARNYSでstage(研修)を始めました。日本にいる頃から絶対にパリでカッターとして働く。と考えていましたので、その当時ARNYSのカッターだったVITOと話した時も、もちろん自分でひいたパターンを持参しました。「君はタイユールなのか。どれ位できるんだ」と聞かれ、「これが自分がひいたパターンだから是非見て下さい」というと、「カットは一番最後。今は見る必要なし」「それより、縫いはできるのか。持ってきたものを見せなさい」と言われました。自身で縫い上げたいくつかのものを見せると、「これくらい出来るのなら問題ない」ということで縫いの修行を始めました。

ヨーロッパのテーラーではカッティング=メゾンの秘密。そして同時に仕立て技術を完全に習得できるまではパターンを触る資格はなし。と考えられています。特にフランス、イタリアといったラテン系の国のテーラーでは多くの場合、オーナーが技術者でカッターである場合がほとんどです。これは第一に、メゾンの核であるカッティングは決して他人には見せない。縫いの行程は職人にやらせても、主要な行程、すなわち採寸、仮縫い、カッティング、裁断、仕上げのチェック、納品等は多くの場合オーナーカッターがやりますので、仮にそのメゾンで40年職人として働いていてもパターンには触れたこともない。という職人も少なくありません。

過去のメゾンスマルトにはSourd-muet(ろうあ者)の方が2人いました。どちらの方もカッターで、ともにメゾンの成長に大きく関わった方です。Sourd-muetの方がカッターとして選ばれた理由は三つあり、第一は門外不出の技術を他言しないから。第ニは手話以外で話せない為転職しにくいということ。そして最後の理由は彼らが飛び抜けて才能があったということです。

そのうちの一人、私の師匠Monsieur Andre Souliersは、カッティングの技術はもちろんTailleurとしても全ての工程をこなせる数少ないTailleur Completでした。彼は引退までの45年間、常にMonsieur Smaltoの傍で彼の溢れてくるアイディアを形にしたチーフカッターでした。 「テーラーはデザイナーではない」とは良く聞く言葉ですが、これはMonsieur Smaltoには当てはまらないでしょう。過去の作品を見ますとその膨大な作品数に驚きます。春夏・秋冬と一年に二回、それぞれHaute couture masculineの作品作りをし、毎回10型以上のモデルを40年以上発表し続けてきました。その作品のスタイルはクラッシックをベースにしながらも、他のテーラーでは見られない斬新な作品が数多くあります。80年代には生地商社と組み新しい素材開発にも力を注ぎ、当時まだ希少だったヴィキューナ×ウールのスーツ地なども生み出してきました。ラペルの形にも拘り、私の手元には創業から今日まで続く全てのラペル形状のモデルがありますが、その数は200を超えていると思います。日本で良く言う『フィッシュマウス』のラペル形状は全てMonsieur CampsとMonsieur Smaltoの二人が作り上げたものでしょう。彼らが作り上げた多くのモデルをその他のテーラーが模倣し、フランス=フィッシュマウスとなっていますが、もともとは二人が作った物です。

私はメゾンカンプスで修業していた頃、どうしてもカッターになりたくて自分でひいたパターンと自分で仕立てたスーツを着て、パリ中のテーラー全てをまわりました。私のスーツをみて「縫いの職人として是非働かないか」と全てのテーラーで言われましたが、持参したパターンをみてくれたテーラーは一つとしてありませんでした。 それでも日々諦めずカッターの場所を探し続け、LyonやBruxellesのGrande maisonも訪ね、正直もうダメだろうか・・と半ば諦めかけていたところ、卒業校の校長先生であるMonsieur Vauclairが救いの手を差し出してくれました。

「君はそんなにカッターになりたいのか」「君みたいに情熱がある日本人は過去の五十嵐九十九か佐藤(現;マリオペコラ銀座オーナー 佐藤氏)しかいないぞ」と私の熱意を強く買って頂き、学校卒業生がアトリエ責任者として働くメゾンスマルトになんと8ヶ月間、ずっと私のことを推薦し続けてくれたのです。

Monsieur Vauclairの熱意と私の熱意が通じ2007年にアシスタントカッターとしてメゾンスマルトに入社しました。が、最初から全てが順調だったわけではありませんでした。

先ほども書いた通り、彼らにとってカッティングとは特別なものであって、手取り足取り教えるものではありません。技術は目で見て盗み、自分自身で試し、失敗し、悩み成長していくもの。と言う考えがあります。私が勤務し始めた一年間、師匠から教わったことはなんと全てウソの内容でした。 なぜウソだった事が露見したか?それは、一年程経ったある日、私がカットしたスーツに問題があり、関わった職人を全て集めて何が悪かったのか話し合いになったのです。カッティングに原因があるとわかると、師匠は”こいつのミスだ!”と私を指さして言うではありませんか。しかし私に取ってみれば教わった通りにやったもの。なぜ師匠がそう言うのかわからない。私は覚えたての手話で熱く反論しました。なんと彼は、“どうせいい加減に聞いてるだろうし技術の程もわかったもんじゃない。それに手話で会話なんてどうせ無理だろう”と考えて、私のやる気と技量を見定めるべくウソを教えていたのでした、しかしこのとき私がやった仕事を見て、“あ、こいつ俺の言ってる事ちゃんとわかってるんだ”と知り、いかに私が真剣に学ぼうとしているか伝わったと言いました。そうしてその日を境に、彼の(正しい)技術を少しずつですが教えてくれるようになったのです。

その後自分自身のスーツを何度も作っては、バラし、組み直し研究しました。慣れてくるとフランス人の友人達にスーツを仕立て、縫製の部分からのエラーとカッティング自体からくるエラーの違いや、様々なお客様の体型(お腹の出た方・猫背で尻が前に出ている方・黒人の方で尻がとても強くO脚の方etc…)にも、型紙上の理屈だけではなく、自分自身仕立ててみて学んでいきました。そうして3年間、約1500着以上のカッティングに関わり、研究し続け、師匠であるMonsieur AndreからメゾンスマルトのCoupeの全てを受け継ぎ現在に至っています。

 


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