アトリエから見たパリ第2回 パリのテーラーリングについて・後編

May 1st, 2011
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カンプス氏は非常に研究熱心な方だったようで、彼が創り上げた理論、数えきれない程のgabarit(ギャバリー;部分的なパターンの原型をしっかりと時間をかけて研究し、作り上げておくことで、style de maison=ハウススタイルを維持することが出来、そこから得られる正確さはスーツの完成度の高さに繋がります)等はフランスにおけるtailleur(タイユール=テーラー)の基礎とスタイルをも創り上げたと言えます。

その当時、それこそ数々のフランスの著名人、詩人、芸術家、映画監督、俳優、歌手(有名な方ではクロード・フランソワ:マイ・ウエイの曲を作った方です)そしてアフリカ大陸を始めその他数多くの王族、大統領らがこぞってカンプス氏にcostume(スーツ)を注文していました。 1つの王家が注文する数は日本では信じられないような数で、多い方ですと年間1000着。一日に3回着替えたとしても追いつかない程です。

その当時の職人及びカッターの数を聞くと驚きます。なんと職人82人、カッターは5人、sur mesure(シュールムジュール=パリにおけるフルオーダーメード)なのに販売員もいたそうです。1950年代当時、世界中のテーラーを見回してみても、メゾンカンプスは特殊な存在だったようです。

そして、彼は人材育成にも力を注いでいたようです。 カンプス氏と共にメゾンの成長を見てきた私の師匠は、「毎週一回朝からムッシュウカンプス直々によるカッティングと仕立てについての質疑応答があったんだ」と言っていました。 彼は、人間的にも優れていたようで一切の差別もなかったようです。 例えば質疑応答会の際、掃除人の男性が自分も見たいと申し出たところ、ムッシュウカンプスは快く受け入れたと聞きます。

1950年代当時のフランスで今よりもはっきりと階級社会があった中、身分の差というのは超えられない壁であったと思います。そしてMaitre grand tailleur である彼が末端の縫いの職人にまでカッティング技術を惜しみもなく披露した。という事実はフランス人及びtailleurの考え方からすると非常に珍しいことで驚きます。

テーラーではカッティングこそが服作りの命。フランスでは特にその傾向が強く、現在でも職人は基本的にsalle de coupe(裁断室)にはよほどの用がない限り入れません。そしてカッター同士であっても家族関係を除いてお互いの技術は教え合ったりしないのが通例です。どちらかというとやはり目で盗む。自分自身で失敗しながら成長していくとされています。 そういったtailleurのメンタリティを考えてみますとこの質疑応答会というのは非常に珍しいことだったと思います。

そしてその当時のcoupeur(クプール=カッター)には錚々たる面々がいました。 全てその後自分達のメゾンを興し大成功した方達ですが、第一にフランチェスコ・スマルト。そしてクロード・ルソー。完璧主義者で知られたユルボン。そして今もニースにお店を構えるクロード・ボヌッチ。coupeurではなかったですがガブリエル・ゴンザレスもいました。 なかでもスマルト氏はメゾンカンプスを去って自身のテーラーを立ち上げた後、世界中の有名人、芸術家、諸外国の大統領、王家を虜にし、まさに60年代はメゾンカンプスにかわってスマルトがフランス一の顧客数・職人数。そしてなにより美しいカッティング、仕立て技術の高さで他をよせつけないほどの勢いがあったそうです。

その当時のアパレル雑誌に目を通しても、ほとんどの雑誌がSMALTOを毎月取り上げていました。私が現在のSMALTOで働き始める前、LYONやBRUXELLESのテーラーで働いていたときも、各メゾンのテーラーは常にSMALTOのことを話しました。彼らはSMALTOの仕事がいかにレベルの高いものだったか、自分にも仕事のオファーが来たんだということに誇りを感じながら、その独特のカッティングテクニックや仕立て技術に対し目を見張り、そして嫉妬もしていました。

ムッシュウカンプスに話しを戻します。他をよせつけないほどの勢いを誇り、非常に研究熱心だったムッシュウカンプスは、どちらかというとアトリエ内でパターンの研究、仕立て技術の研鑽に時間をかけたかったようで諸外国の王族がお店に来てもカンプス氏はあまり会おうとせず、むしろ自分の右腕であるスマルト氏やその他のcoupeurに任せていたようです。

そうして次第に自分が育てていったcoupeur達がメゾンカンプスの顧客とともに独立していき、60年代後半になると仕事量も減りかつての勢いは完全に失われていきました。時代はもはやメゾンカンプスからメゾンスマルトへ移ってしまいましたが、それでも彼に教えを受けたTailleur達は今でも「カンプス氏こそフランスにテーラー文化を作り上げたGrand maitreだ」「自分達は彼から教えを受けたことを誇りに思っている」と口々に言います。偉大な研究者であり人格者であった彼を想うテーラーは少なくありません。

その後メゾンカンプスは60年代後半に友人関係だったテーラー、de Luca(ドゥ・ルカ氏)とアソシエすることになり社名もCamps de Luca(カンプス・ドゥ・ルカ)に変わりました。メゾンカンプス・ドゥ・ルカは現在、マルク・ドゥ・ルカ氏がオーナーでパリ、マドレーヌ広場で今も変わらず営業しています。

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